東京地方裁判所 昭和35年(刑わ)3528号 判決 1961年4月05日
本籍 福岡県若松市本町一丁目六番地
住居 東京都豊島区池袋二丁目一、二四一番地 福泉閣アパート
無職
荒牧退助
明治二十八年二月十六日生
右の者に対する傷害被告事件につき当裁判所は検察官池浦泰雄出席の上審理し左の通り判決する。
主文
被告人を懲役弐年に処する。
押収にかかる登山用ナイフ一丁(昭和三五年第一、三五八号の一)は之を没収する。
理由
被告人はもと右翼団体大化会の幹事長等をなし、昭和三十一年十月頃上京後は徒食していたものであるが、予て内閣総理大臣岸信介を快からず思つており、殊に安全保障条約改定案の強行採決以来連日に亘り学生、労働者等の国会周辺デモが頻発したことは同人の失政によるものであるとし、同人に一撃を加えて反省と警告を与えようと企て、昭和三十五年七月十四日午後二時二十分頃東京都千代田区永田町二丁目一番地内閣総理大臣官邸に於て、第八回臨時自由民主党大会に引き続く右官邸庭園で開かれた池田新総裁就任祝賀のためのレセプシヨンから退出し、玄関に向おうとした岸信介(当六十四年)に追尾し、同人が右官邸裏一階の大食堂中央附近に至り参会者と立話中、その左斜後から接近し、やにわに隠し持つていた刃渡十三糎の登山用ナイフを以て背後から同人の左尻の辺を六回突刺し依て同人に対し左臀部及び左大腿部後側に約二週間の安静加療を要する六ヶ所の刺傷を負わせたものである。
右の事実は≪証拠―省略≫
量刑について
一、昨昭和三十五年起つた数回のこの種事件は孰れも年少者の行為で、思慮未熟の致す処と思われるが被告人の場合は之と趣を異にし年令、経験から見て思慮分別充分である者の行為であるから責任は重い、物の考方が異るとはいえ、暴力を以て人を殺傷するのは許すべからざる不法な行為である。殊に民主々義社会に於ては凡て言論によつて之を処し、法に従つて行動すべきは言うを待たない。自己の信念を他人に強い、目的の為に手段を選ばない考方は野蛮であり、平和な文明社会を創立する所以でない。即ち暴力を用うれば相手は屈服する如くであるが、それでは穏かな言論により信服させるのとは異り平和は破れ真の社会の進歩は止まり或は後退する。自己の信念のみを是とし、他人の言動を非として之を無視することは反省がないから進歩はない。
一、本件の場合被害者は已に政治上責任の地位を去らんとするものであるのに被告人は之に反省を求め警告を与えると称するが之に暴力を加えることは死屍に鞭打つに過ぎないし、心ない仕業である(古語にも去る者は追わずとある)。而も被告人は更に後継者に警告を与へる趣旨があつたと云うが、政治家の業績功罪に対する評価は後世の歴史家が之を論評し判断するし、後継者の施政の方針は未だ定まつていないのであるから、一私人の被告人の如きが暴力を示して恐怖させて警告し得ると考えるのは思い上りである。
一、世相を慨嘆する者は多い、しかしその人は皆、直接行動に出る愚をしない。民主的、且つ法に従つた手段によつて改善に努力している。直接行動とか暴力によつては真の改善、進歩は望めないからである。
一、被告人が自己独自の偏狭、固陋な考えに捕われ、年令、経験に徴して思慮浅薄且つ粗暴な行動に出た点につき、被告人の自供する処と考え合せると、昭和二十一年頃精神分裂症で入院した事がある由であつて、現在その病気があるとの証明はされなかつたが、性格上に何等かの欠陥があるのではないか、情状として一応考慮に入れるべきものと考える。
一、本件は一面に於て、傷害の部位、程度が比較的重大でなく、被告人の人格的偏傾及び老令の点を考慮に入れ、更に当時の世情に刺激された軽挙であることを斟酌しても、他面暴力事犯頻発の傾向、生命、身体等に対する軽視の風潮に対処する為、且被告人が二日間に亘つて付狙い、鋭利な刃物を携帯した計画的な本件に対しては主文掲記の刑を相当と認める。
法律に照すと被告人の判示所為は刑法第二百四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するので懲役刑を選択し、所定刑期範囲内で被告人を懲役弐年に処し、主文第二項掲記の登山用ナイフ一丁は本件犯罪行為に供したもので犯人以外のものに属しないから刑法第十九条第一項第二号、第二項により之を没収し、刑事訴訟法第百八十一条により訴訟費用は全部被告人の負担とすることとし主文の通り判決する。
(裁判官 青木正映)